前回のあらすじ
・ひこうきで北海道へ
・温泉
・ジンギスカン
・展望台
役目を終えた路線
いくら見積もりより暑いとはいえ、朝は冷えます。おはようございます。朝の大通り公園付近を歩いています。快活はまあそこそこ寝れるのですがいやあ疲れが取れません。もう既に肩が悲鳴を上げようとしています。
歩くのがしんどいので地下鉄へ。大通→さっぽろの運賃は220円と高額ですが仕方がありません。このあと何回か地下鉄を使うことになるのですがやはり運賃が高い。でも札駅からすすきのとかになると地下鉄がかなり便利なんですよね。
札幌駅に入り、ホームに上がると図鑑でさんざん見たデンシャがお出迎えしてくれました。
緑塗装というとどうもスーパー白鳥としか思えません。しかし側面に貼ってあった青函トンネルの図は花*1に「SOYA」と書かれたステッカーによって消され、全面には「ライラック」と掲げています。
少しは札幌都市圏、しかし30分もするとこれ。一面まっしろわーるどに甘いお菓子は欠かせないのです。まあ乗り換え時間がギリギリになったせいで飲み物もなければ食べ物もないのですが…。
1時間少々で深川へ。ここからタイトル通り「役目を終えた路線」留萌本線を乗り通していきます。北海道で豊富に取れた石炭を留萌港から船で輸送するためを主目的とした留萌本線は、石油時代の訪れとモータリゼーション、過疎化によりその使命を失い、3月31日を以て路線名の「留萌まで至る路線」としての役目を終えようとしています。
「留萌線、普通列車 留萌行です。北秩父別、真布には止まりませんのでご注意下さい。」
さて、本日の4923Dは乗車人数が30人程でほぼ全員が見たまんまの人です。そうですね、みた感じ本当の利用者はいなそうです。地元住民が利用しない路線なんぞ存在価値があるのでしょうか?あ、ないから廃止になるのか
途中恵比島まではそれなりの速度で飛ばします。JR北海道の良いところは存続するか否かの路線であっても線路設備の保守が素晴らしいこと。最高速度は65km以上出ているように感じますし路盤が弱そうなところでも減速することがありません。どこぞの会社のように必殺徐行なんてやらずに頑張ってほしい所です。
列車は石狩沼田を発車し、今月31日を以って営業を終了する区間へ。勿論乗ってくる人はいませんし降りる人もいません。どうやら留萌まで面子が変わらないようです。いやそれでいいの?
真布は通過して恵比島へ到着。立派な駅舎に「明日萌」と書かれた駅名表がありますがこれはNHKの連続テレビ小説「すずらん」のロケに使われたもので本来の恵比島駅舎はこれではなくこの隣の車掌車を改造したものらしいです。嘘やん
その次の峠下は執筆時点*2*3で留萌本線で唯一列車交換が可能な駅となっており、4月以降、留萌本線は交換可能駅なしの1閉塞路線となります。この駅では雪中行軍でもやるのか重装備にハスキーを担いだおじさんが降りました。私は知りませんがこの辺りに昔からのそれはSLが運行されていた頃から有名な撮影地でもあるのでしょうか?
もう見れば分かる幌糠
藤山(写真なし)
大和田と停車して
終点 留萌へ到着です。
駅舎は2階建てでそれなりに大きくなっており、コミュニティFMの放送局もあるようです。石炭輸送やらで賑わっていた頃はどうなっていたのでしょうか?
一緒に乗車してきた人の多くは10分そこらで折り返していきましたが、私はもうしばらく留萌に滞在します。
とは言っても観光要素なんぞない*4留萌市。市としては「黄金岬からの夕焼けは素晴らしい!」と紹介されていますがそんな時間まで待てないので
駅名物のにしんそばをいただくことになりました。にしんの甘露煮を生そばに乗せたものですがこれがまあうまい、心に染みます。この立ち食いそば屋さんも廃線と同時にどうなってしまうのでしょうか?一緒に食べていた人が店番をするおばちゃんに尋ねていました。
「この店は4月からどうするんですか?」
「私はオーナーじゃないから知らん。親方がどうするかだけど多分どっかでやると思うよ。」
だそう。他にも「私の父親が昔来た。まだ急行があった時代だった。」というお客さんの姿も。少しばかりですが長年旅人に愛されてきた様子を垣間見ることができました。
後ろの待合スペースではパネルや映像で留萌本線の歴史を伝える展示もありました。急行の運転開始を祝う写真が展示されていたりとどこもそうですが昔は賑わっていたんですね。
さて、名残惜しいですが留萌を発ちます。
https://ekitan.com/timetable/railway/line-station/108-12/d1?dw=0
とは言いましても先ほど乗ってきた列車はものの10分で旭川行として折り返していき、次の列車は12時過ぎまでありません。
「列車、行っちゃったね…。」
「いや待って!
http://www.engan-bus.co.jp/02_omnibus/01_routebus/56_asahikawa/index.html
沿岸バス 留萌旭川線使えば時間を有効活用できるよ!」
ということで4月より地域輸送の基幹となるであろうバスを利用して素早く移動していきます。
駅前のバス停*5へ。以外にも先程の列車で来たであろう人は私ともう1人以外おらず他数名の列車では見ることが出来なかった地元利用者がバスを待っています。ああ既に地域輸送はバスに取られているんですね…。いや自分の家や街中から列車と対して変わらない値段で病院だとか旭川まで乗り換えナシというのならバス使うか…。
路線バスといっても車両が高速バスタイプなのでリクライニングも出来ますしそれなりに快適です。ただし今日は暑かった。背負う荷物を極力少なくしたいことからシャツ4枚に上着を羽織って暖房ガンガンのバス、それじゃあ気分を悪くします。のちに知ったことなのですがこの日は暑く2月なのに札幌で最高気温が11℃と本州さほど変わらない気温*6になってしまいました。それは暑いよ
バスはおおよそ留萌本線に沿うように走りますが走行する道路*7の関係上恵比島ではなく碧水を経由します。碧水も元は札沼線の駅があった街、とはいえ街の規模が小さい上土地改良によって航空写真でもどこに線路があったのかわかりません。
秩父別を経由して深川市内へ、バス賃をケチりたいので深川十字街で降りました。
最終的に深川まで20人くらいが乗っていたでしょうか?
更に北へ
駅まで歩いてきました。深川駅もそこまで大きな駅舎ではありませんが拠点駅を名乗っているだけあります。
深川名物は深川めし…じゃなくてそばめしらしいのですがどうもそれを提供している店がこの日は定休。近くにスーパーがあったので追加で飲み物を購入したりいい加減シャツを脱いだりして時間を潰しました。折角なら名物を頂きたかったのですが…これはまた深川に来いってことですかね?
「旭川まで あと10km」
とは言ってもあっという間です。複線電化でかつ直線では110km近くでふっ飛ばしてくれるので遅くはありません。いや常磐線に乗っていると「あ~この直線なら531がモーター唸らせて120km以上で爆走してそうなのに…」とは思いますが。速さを重視して安全を疎かにしてしまっては元も子もないですし。
20分ほどで旭川に到着です。
昨日も見ましたがキハ183系の大雪が乗り換え待ちをしていました。
まあ、これには乗らないのですが。
土産物屋を覗いたりして1時間…。乗り継ぎ列車がやってきました。
キハ261系、サロベツ1号です。今日の目的地は日本最北の地 稚内、ここからおよそ200km*8の大移動です。
北海道内だと「200km?ああたかが200kmかぁ…と思いますが」実際200kmってどのくらいなのか、大雑把で見てみると東京からの距離だと郡山、掛川、塩尻、いわきまで行ってしまうようです。めちゃくちゃ遠いやんけ
長旅を祈ってお弁当とビールに手を付けます。かにといくらと鮭が入ったこのお弁当も美味しいですね。酒が進む進む。あと数の子をチーズに入れたおつまみもうまい。後日家族用のお土産に追加購入してしまいました。
列車は和寒、士別、名寄と停車。ここまでは高速化事業が行われた区間であり、それなりのスピードで走ってくれますが名寄を過ぎるとペースダウン。特に音威子府を過ぎると天塩川に沿った曲がりくねった線路が続きます。線路脇の制限速度表を見ると「45」ところによっては黄色い丸が見えてきます。
しかし車窓は見事。凍り付いた天塩川を眺めることができます…が長い!もう車窓も飽きてきます。
「幌延まで あと20km」
あと何キロあるねん。あと何キロ座ってないといけないんだよ。
「南稚内まで あと10km」
日が沈み始め、ここでようやく日本海が見えるようになりました。人気は消え、最果てが近づいてきています。
と急に街が見えてきます。南稚内、そして旭川を発って約4時間…
「ご乗車ありがとうございました。日本最北端の駅 稚内です。」
稚内…着きました…。宗谷本線を乗り通した感想ですが…しんどいです。特急列車でこの感想ですからこれを青春18きっぷで普通列車限定だと…死ぬんじゃないの?鉄ヲタの行動力…恐るべし。私は絶対やらないですけどね、というか次来るなら車な気がします。
しかし達成感というものは素晴らしく「ああ私もここに来たんだ」という人生においての1つの実績を解除できたような感じがします。みなさんも1度は絶対列車で稚内まで行きましょう。再度言いますが次来るなら車だと思います。車です
今日はホテル泊だよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
予約していたホテルにチェックイン。シングルルームで予約していたのにダブルの部屋に通されました。追加料金は無かったので別に部屋が広くなり角部屋だったのでいいですね。
時系列が前後しますが北は稚内の街並みを、西向きは戦前に作られたコンクール製半アーチ状の防波堤である稚内北防波堤ドームや宗谷岬まで見ることができます。レビューでは賛否ある眺めですがそもそも稚内という街が樺太航路の歴史と共に発展してきた経緯を持つのでその歴史を垣間見ることができるこの眺望はとても良いものだと思うのですが…。
お夕飯です。稚内名物であるたこしゃぶと八角の軍艦焼きを頂きました。たこが柔らかくて美味しいのと八角は身が全然ない癖に1300円取るのが少し気に食わなかったですが脂がのっていておいしかったです。
この日は疲れたのでさっさと寝ました。
哀愁のバス路線
おはようございます。稚内駅から始まります。今日から3月…と思っていたのですがどうやら稚内市には西暦2023年にも2月29日が存在するようです。北の大地だと日の進み方も違うのですね、初めて知りました。いや直せよ
時間があったので前日にホテルから見た北防波堤ドームを見にいきました。こうして見ると大きいものです。
近くには「巨人、大鵬、玉子焼き」で出てくる昭和の名横綱、大鵬の上陸記念碑もあります。大鵬って樺太出身なんですね。
さて、少しばかり稚内観光を楽しんだので稚内を後にしていきます。とは言っても行きも帰りも同じ経路を辿っていちゃつまらないですよね?私が生まれるのがあと30年も早ければ「では帰りは天北線で」という選択乗車が出来ますがそんな路線令和の1億総少子過疎時代において存続しているはずがありません。むしろ今日において宗谷本線が残っていることが奇跡かもしれません。
しかしバス路線として今でも残っています。
宗谷バス 天北宗谷岬線は天北線の代替路線として設定された長距離バス路線であり、観光地である宗谷岬を経由し鬼志別、浜頓別、中頓別を経由し音威子府まで結んでいます。設定当初は1日上下合わせ21便もの本数がありましたが利用者減少により現在は1日上下16便、そのうち稚内~音威子府を通し運転するものは僅かに1往復だけになりました。
そして2023年10月、浜頓別~音威子府間がデマンド交通化され稚内~音威子府を乗り通すことは不可能となります。そうなる前に面白半分で乗ってみようと思います。
駅前の販売所で乗車券を購入。稚内→音威子府 4020円。運賃改定がされたものの、誰も稚内から音威子府までバスで行かず、乗車券の在庫が切れないせいかペンで手書きされています。
バスはエアロスター。私を含め20人近い人が乗っていますが果たして私と同じように音威子府まで行く変人はいるのでしょうか?
稚内市街地ではそれなりの乗降が発生。地元の方が乗ったり降りたりしながら宗谷湾沿いを進んでいきます。途中には声問、富磯、宗谷といった集落がありますがこの辺の人はバス使わないんですかね?あ、使わないから減便されたのか
バスは宗谷岬へ到着。稚内から乗ってきた人達がぞろぞろと降り、乗客は私一人…ではなくもう一人います。どうやらもう一人のおじさん、多分私と同じ目的だと思いますが今日このバスを乗り通す人は二人いるようです。
途中どこからかフリー乗降区間となり、ボタンを押せばどこでも降ろしてもらえるようです。それにしても周りは何もなくただだだっ広いそれなりの規格の国道が丘を上り下りしています。これこそ最果ての景色、昨日乗った宗谷本線なんて比べ物になりません。
何もない丘を越えること30分、東浦の集落へ。離村が進んだようで人が居た痕跡はあるものの家がありません。
それより進むとやっと稚内市が終わり猿払村へ、まずは知来別という集落。東浦より大きい集落です。
知来別の集落では、バス停の名前をつけるのがめんどくさくなったのか「鈴木宅前」と「天野宅前」というバス停があります。知来別に住む鈴木さんと天野さんは自分が降りればいいバス停の名前が覚えやすそうでいいですね。
次に出てきたのは「知来別シネシンコ」というバス停。この次は「浜鬼志別シネシンコ」とカタカナのバス停です。既に地理院地図から削除されてしまっている地名らしく意味は「一本のエゾマツ*9」漢字に当てると「志根新古」になるらしいです。
浜鬼志別で国道から別れ、猿払の中心部…というか鬼志別へ。バスターミナルに着きました。ここでは40分止まるそうです。この建物は元々鬼志別駅の駅舎だったそうで、中には窓口の他
天北線の資料集があります。
飛行場がないことで有名だった飛行場前駅などの駅名表や
きっぷ類
時刻表
タブレット閉塞機や制服などが展示されています。
停車時間に稚内で買っておいたお弁当を食べます。カニが美味しい〜〜〜それなりの値段がしたはずですが全国旅行支援のクーポンで支払ってしまったので値段は忘れました。あと鬼志別にはバスターミナルの近くに評判のパン屋さんがあるのですが存在を完全に忘れていました。一緒に乗っていたおじさんは見た感じ買いに行っていたようです。
40分の停車を経て鬼志別バスターミナルを発車。経路の関係上浜鬼志別まで同じバス停を通り、芦野、猿払と天北線の駅があった場所を経由するために内陸へ。それからは浜猿払と再び海沿いへ出ます。
ここで動きが発生。詳細な場所は伏せますが地元住民と思われる方が1名乗り込んできました。どこまで行くのだろうと見ていたら中頓別のどこかで降りていかれました。確か病院の最寄りバス停だったと記憶していますが通院に1時間以上掛かるとなるととても大変そうに感じます。
バスは浜頓別バスターミナルに到着。元は別の場所がターミナルだったそうですが現在は道の駅と同じ場所になっています。10分停車時間があったのと先程鬼志別で買い物しなかったので道の駅でパンを購入しました。確かとあるYouTuber*10が天北宗谷岬線に乗ってた時もここでパンを買っていたと思います。
同じ時間には稚内行のバスも到着。音威子府から稚内まで通し運行する唯一の便です。なおあと5時間程度浜頓別で待つと枝幸まで行けるそうです。
浜頓別からは2人乗車し、発車。ここからは10月以降デマンド交通化させる予定の区間となります。しばらくすると浜頓別高校前へ。大量と言っても10人いるかいないかですが高校生が乗車してきました。北海道の高校事情をよく知らないのですがこの日は午前中で学校が終わったのか、それとも卒業式かなんかなのでしょうか。
中頓別バスターミナルに到着。駅舎を利用した待合室と資料室がありますが10分そこらで見学できるわけないのと2階に上がるのと土足禁止なのがめんどくさくて見学は断念。ちなみに高校生達は全員がここから町が運行しているスクールバスに乗り換えていきました。「じゃあ学校から直でスクールバスを出したらいいのでは?」と思ったのですが自治体が違うこととなるだけ公共交通機関を利用させて存続させたいという意思があるのでしょう。
ここからは山!松音知もピンネシリも小頓別も「お前人住んでるの?」という位の有様です。
少しばかりの集落は小頓別。ここから別れれば歌登まで行くことができ、かつては歌登町営軌道という簡易軌道がありました。しかし街の規模とどう見ても人が住んでいないであろう家や雪に埋もれた空き地を見る限りそんな乗換駅があったとは微塵も感じられません。自分が住む自治体が人口減少率トップだとかなんとか言っていますがもっと酷くもうどうしようもない所なんて数え切れないほどあること、バスに乗ったことでよくわかった気がします。
稚内を発って5時間、音威子府に着きました…。完走した感想*11ですが路線バスの椅子に5時間はしんどいです。あとそれ以上に風景が代わり映えしなかったのもキツかった。特に中頓別→音威子府はやばい、もう山!早く着いてほしいと思っていました。え?これよりも八木新宮線の方が長いんですか?
最終的にこの日音威子府まで乗ったのは浜頓別から乗った2人と稚内から乗り通したオタク2人でした。確かにこの人数ならハイエースタイプのデマンド交通でも事足りるでしょう。仕方がないですがこれが現実です。
音威子府駅の資料室も見学。ここもいろいろありますね。
昔の構内を再現した模型も。今や見る影もありませんが昔はこんな大きな駅だったんですね。
音威子府そば、食べてみたかったです。
次回予告
舞台は道東へ…
網走でゆかりさんに出会いながら…
最東端を目指しますています。
ありがとうございました
2023/3/24