前回のあらすじ
・留萌本線完全乗車*1
・日本最北の地にいった
・天北宗谷岬線完全乗車
東へ大移動
バスで音威子府に到着し、資料室を見学したりなんなりで時間を潰していました。ここからは再び宗谷線のサロベツ号に乗り、旭川方面へ南進していきます。
駅にはどうやら春から一人暮らしを始めるのかわかりませんがキャリーケースを持った親子連れが数組いました。見た目年齢から流石に高校生ではなさそうでしょうから春からは札幌で大学生活を始めるのでしょうか?それとも北海道を出て東京まで行ったり…。
そんな親子連れ数組が出たことと、これから先も人が増えそうということで指定席券を発券してもらいました。「フリーパス併用」という印を押してもらいました。
車窓は昨日と大差ないですが昨日がD席だったのに対し今日はA席。天塩川を眺めることはできませんが両方の車窓を楽しんだということで。なお名寄、士別、和寒と自由席にはそれなりの乗客がいたように見えましたから指定席にしたのは正解だったと言えます。
かっ飛ばして旭川へ到着。乗り継ぎには時間がある…というかシカと衝突して遅れることを想定して余裕をもった乗り継ぎ時間にしたためここ旭川では2時間少々時間があります。
折角なので駅の外へ。一見大都市の新幹線が乗り入れているような駅となっています…え?旭川市って人口32万もいるんですか?
旭川というとラーメン。どこか美味しいのか知りませんが蜂屋さんへ伺いました。油っこくない醤油がまた美味しいですね。
実は翌日の朝のオホーツク号で網走まで移動しようと考えていたのですがそのオホーツク号の運用がよりにもよってキハ261系ラベンダー色の運用だったので、ならこの日のうちに移動しようと考えまして、今に至ります。
乗り込みます。
とは言っても夜では車窓なんぞ何も楽しめません。辛うじで「あ、ずっと山上りしてる」と分かる程度でしょうか。そんな感じで
気付いたら白滝
気付いたら遠軽
気付いたら北見で降りていました。
余りにも夜では語ることがありません。
とりあえずこの日は宿を何も予約していないのと安く済ませたいので快活まで徒歩移動。しんどかった。駅から遠いんだよお前
これぞ北海道の冬?
昨日からの暑さ(個人差)から一転。今日は雪が舞っており、昨日までの灰色の路面から一変、白い路面が広がっています。おはようございます。寒いです。
40に54がサンドイッチされた編成で網走を目指します。通学輸送の為に3両だと思うのですがそこまで人が乗っていません。もしかしたら回送運転も兼ねているのでしょうか。しかしこういう場合回送車両は締切ということをしているはずなので通学輸送目的なのでしょう。
美幌ではキハ183と離合しました。
網走に着きました。ここでは1時間程度の乗り継ぎで釧路に行けるのですが釧路でそんなやることを見出せないので
フリーパスを買って観光することにしました。このフリーパス、なんとデマンドタクシーも使えるみたいでそれなりに自由が利きます。もしかしたら撮り鉄にも使えるのではないでしょうか?
最初に来たのは網走監獄。建物を保存展示するだけでなく、北海道における開拓の歴史と現代までの刑務所の変容を知ることができる博物館なのですが…展示方法を見ると結構面白いですね。特に実物大人形を利用している展示などは分かりやすく当時の様子を知ることができます。不気味だけど。
特に「タコ部屋」の原型となった休泊所*2なんかは当時の様子がよくわかりますね。
五翼放射状平屋舎房は、中央の見張りから全ての監房が放射状になっており房を監視しやすくする工夫だそう。当時はその構造から「絶対脱獄させないマン」だったらしいのですが昭和の脱獄王、白鳥由栄は監察孔に味噌汁をぶっかけて錆びさせて外し、監視の目を盗んで天井から脱獄。上の写真の奥に小さく映っているのがその様子です。私は帰ってきたあとテレビで見てそんな展示があることを知りましたが遠巻きで写真を撮っていたのでセーフ?何が?
さて、網走監獄の設置経緯は開拓。旭川から白滝を通る中央道路の建設が主な仕事となりました。ほぼ奴隷扱い。帰れない、食料もない、逃げたら逃げたで熊につれていかれるだけ…。鬱クワガタすらやる余裕もない過酷な環境の中、明治期に100km近くの道路をたった半年で完成させたというのだから驚きです。
資料館にはその再現ドラマが上映されており、博物館というと大根役者の起用といったやる気のなさが目立つものもある中でそれなりの演技、効果音を用いてそれはそれは涙を誘うものがあります。24時間テレビの「頑張る障害者」よりも涙を流せるのではないでしょうか?
しかしこの突貫工事で大量に死者を出してしまったことにより「いくら生きる価値の無い囚人でも流石に…」という意見や監獄=悪いというイメージから1922年に監獄という名称から刑務所という名称に変更。その後は囚人の「社会復帰」が主な役割とされ、農作業や畜産、炊事といったことがされるようになりました。
現在の網走刑務所も社会復帰を兼ねた農場や牧場が併設されており、特に畜産の評価は素晴らしいものだそうです。もしかしたら今後日本の農林水産業を支えていくのはTOKIOではなくて囚人なのかもしれません。
頭の中で2時間程度だろうなと考えた時間はあっという間に来てしまい次なる場所に移動していきます。ここでここでみなさんに問題です。
北海道の冬ってなんでしょうか?
そうだね、流氷だね。
ということで道の駅流氷街道網走へ移動し、流氷砕氷船「おーろら号」に乗車します。HP上では流氷ありとなっていましたがどうでしょうか?
ちなみに乗船料は4000円、容赦ねえな。
いや湾内に入ってるやんけ
すぐ沖合に出ただけでこのご様子。これは素晴らしいものがあります。船内でも良いのですがやはりここは寒さを我慢して外のデッキが一番。流氷を砕いて進む様子を間近で観察できます。
上にも登れます。どうも流氷砕氷船と聞くと前方にドリル?が付いている姿を思い浮かべますがこいつはそうではなく船底で氷を砕くタイプ。というか一般的にはこのタイプが主流なようです。
1時間があっという間に過ぎ下船。腐ってもここは道の駅。二階には昭和レトロな映画館をイメージ?した食堂があり
サーモンザンギ丼?を頂きました。どうやら網走名物らしいのですが…聞いたことないけど?あと仕方がないのですが基礎英語位は出来るようにしましょうよと。普通に困ってて可哀相でした。「じゃあお前が対応してあげろよ」コミュ症陰キャメガネチー牛FランTOEIC400点台大学生が対応できる訳ありませんでした。あのさ
一部界隈では北海道のことを「合成音声の土地」ということがあるそうです*3。それは初音ミクの大元を辿ると北海道大学に辿りつくとかいろいろありますが、そんな彼女はこの北海道で毎年毎年クソ寒い2月に「北海道に来い」とイベントを行っています。Snow Miku "雪ミク"です。毎年コンセプトに合わせた可愛い衣装、楽曲、ライブを行い北海道を盛り上げてくれています。
しかし北海道全体の覇権全てをネギに取られては困る、峠を超えたこの北見國において密かに興されたのが「オホーツク観光大使 結月ゆかり」でした。それからはこのように
パネルを設置したりなんかいろいろイベントをやったりしています。峠を超えてやってくる巡礼者は多くはありませんが今でも全国のゆかりクラスタを引き付ける存在となっているのです…。そんな観光大使…オホーツクゆかりさんはこの道の駅流氷街道網走の他北見市のプロジェクト事務局、オホーツク振興局などに設置されています。また女満別空港にも設置があったそうですがいつの間にか撤去されてしまったそうです。かなしいね
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— 【公式】夕張メロンコラボ【石黒千尋&結月ゆかり×JA夕張市】 (@ja_ybr_collabo) 2023年6月7日
【JA夕張市×石黒千尋&結月ゆかり】コラボ決定‼️
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🍈夕張メロンのJA夕張市と!!
🍈北海道夕張市出身の人気声優『石黒千尋』さん
🍈VOCALOID等で幅広く活躍 『結月ゆかり』さん
🍈道の駅「夕張メロード」で限定グッズ販売
📅令和5年6月17日~
■コラボ専用ページhttps://t.co/aeKZs05tGA pic.twitter.com/jJMBYzZnBW
そんな結月ゆかりは今年6月より北海道で2つ目の肩書「JA夕張市」を得ることとなり、結月ゆかりの声の主で声優の石黒千尋さんと共に夕張メロンの宣伝を務めることとなりました。新夕張駅前にある道の駅 夕張メロードにはメロンをイメージした衣装を身にまとう2人の等身大パネルが設置されていたり、グッズが販売されていたりするらしいです。次の機会があれば是非夕張にも立ち寄りたいところですね。
更に東へ
腹を満たしたところで網走駅へ戻ってきました。
さて、名残惜しいですが網走を発ちます。これから更に東を目指して進んでいく、そういうことですね。とりあえず今日は南下していきます。
釧網線の普通列車は1両ともう北海道では当たり前の列車が列を成していない姿なのですが座席はほとんどが埋まっております。それもそうでこんな釧路と網走を行き来しようとする人はそこまで多くなく、高速バスもほぼ走っていませんし、特に雪道に心配がある観光客というものはそれはそれはこの1両の列車に客が集中する訳です。
鱒浦まで来ると海が見えるようになります。海の近くに住んでいますがどうも海を見ると写真が撮りたくなります。
藻琴です。
北浜はやっぱりダメですね。人ばっかりです。これ下灘駅にも同じことが言えるのですがなんでこういう観光客が多い駅に駅員を配置して入場料を取ろうと考えないんですかね?もしかして駅員を配置したら来ないとでも思うのでしょうか?両駅に来る人なんて電車使わないのだから入場料位取っても良いと思うんですよねというか入場料取って数字だけでも改善させろよ。
という北浜では数人降りたので座れました。ありがとう北浜駅。
酒をあけました。これお土産に瓶タイプも買ったのですが親から衝撃の一言
「これこの間マルト*4に売ってた」
どっかの放送局曰く「釧路*5も茨城」らしいのですが茨城らしさが全然ありません。強いて言うならどちらにもセイコーマートがあるかないかではないでしょうか?とりあえずホテルにチェックインして北海道民の税金と地方交付税交付金の成れの果て*6を受け取ったところで夕飯です。
釧路の名物を知らないのですがサイトを見る限り「ろばた焼き」と出てきたので本当かよと思いながらクーポンが使える店を探してそこへ。釧路水揚げの秋刀魚のろばた焼き、秋刀魚はめちゃくちゃに高騰してるから仕方ないと言えば仕方ないのですが高い割に身が小せえ、あと脂がのってません。ホッケはめちゃくちゃ旨い。まず刺身で食えること自体が珍しいんだけど脂がのってて旨い。イクラは……これ回転寿司で食ったのと同じ味だな。
暇なので幣舞橋まで歩いたり、セコマでパスタ買ったりしてホテルへ戻り洗濯して寝ました。乾燥が足りなくて生乾き臭がしました。最悪です
おはようございます。時刻は朝5時です。フロントの呼び鈴を鳴らしてチェックアウトします。
寒い、歩いて駅へ行くと既に改札が始まっていました。
「花咲線、快速 はなさき 根室行です。」根室へ行く鉄ヲタしか利用しないであろう花咲線の名物列車、快速はなさき。こんなクソな時刻に運転しているのは夜行急行まりもとの接続を考慮してとのこと。まりもが廃止された今、普通の旅行者が使うことはあるのでしょうか?ないです。乗っているのはほとんどが見た感じの方。なんなら「あれ…この人昨日ホテルのチェックインカウンターにいなかったっけ?」という人も。業務用みたいなデカいテレビカメラみたいなの持っていれば分かりますってどんな人なのか。
塗装はルパン三世。どうやら作者であるモンキー・パンチさんの出身地が花咲線沿線の浜中町だからだそうです。
東釧路を出ると厚岸までノンストップ。駅間は40kmなので大体水戸から高萩といったところですね。ちなみに東京だと東京から八王子がこれに当たるそう。
車窓は自然がいっぱい。原野を突っ切り朝日が車内へ指してきます。
茶内では列車行き違いで数分停車。いい感じに編成写真が撮れます。
東根室は日本最東端の駅ですが特に何かというアナウンスはありません。西大山は「次はJR最南端の駅、西大山です」とかいうアナウンスがあったと思いますが東根室にはありません。
釧路を発って2時間。日本最東端の有人駅、根室に着きました。
バスターミナルへ。ここから最東端の地、納沙布岬を目指します。利用者は…あれこの人同じ列車で来なかった?という人達数名です。
幾ら近年日露関係が最悪だろうと根室とロシアとの結びつきは強いようで道路標識には日本語、ローマ字、ロシア語が書かれています。私はロシア語読めないんですけどなんか母国語でデレてるどっかの漫画の女は読めたりするんですかね?名前なんだっけ?
光洋町のバス停を出るとこれ、今までは木が生えていたのですがそれすらありません。本当に最果てに来たような気がします。というか本州の山とか空き地には木が生えている理由は戦後の「戦火で散々になった山に木を植えましょう計画」の慣れの葉てなんですよね。明治時代の写真を見ると分かるように本州にも木がそこまでない原野がそれほどあったという話です。正しい自然環境を見ているような気がします。地理齧ってないから知らないけど。じゃあ書くなよ
途中では集落がいくつか出てきます。そういえばこのバス路線、元を辿れば鉄路がありました。ゲテモノ単式奇動車を走らせていたあの*7根室拓殖鉄道です。
そんな元日本最東端の駅、歯舞駅は現在の歯舞診療所前バス停付近にあったそうです。このバス停では根室市街地から乗ってきた方が降りました。わざわざこっちの病院まで通院するんですね。
歯舞を過ぎると初見じゃ読めねえよこの地名、珸瑤瑁*8で「ごようまい」と読みます。うん読めないね。意味は「波の中にあるところ*9」地理オタクならご存知だと思いますがこれよりもっと酷いのが釧路町沿岸部。千方学*10、冬窓床*11、賤夫向*12…何食べてたらその読み方思い付くんだよ…っていう地名ばっかりな上、一部は読み方すら分からない有様。あのさ読めない地名って何?
根室駅を出て1時間。着きました。
北…じゃなかった東の果てです。
最東端には灯台があり、またその先には野鳥観察の小屋が建てられています。野鳥…うん自分のクソみたいな視力では見えねえな。海外から来た方でしょうか?超望遠レンズを引っ掛けて撮影に勤しむ団体の方々もありました。その白レンいくらするんですかね?
珸瑤瑁水道から歯舞諸島を見ます。天気が良かったので貝殻島の灯台も見えます。隣の薄っぺらい島は水晶島で一番高い所で海抜21mしかないそうです。
見える島には行けない。水晶島と国後島が見える納沙布岬では北方領土を忘れないなど返せ故郷だの色々な碑が立てられています。
一番デカいのがこのモニュメント。名前は「四島のかけ橋」こんなデカいの作って後々どうするんですかね…。
そして多分日本最東端の廃墟がこれ。故郷に想いを抱いた人達がバブル景気に波のって作ってしまった展望タワーこと「オーロラタワー」そもそも道東への観光客が少ない上にマンネリ化、コロナ禍で3年前から休館し放置。まじでどうすんだよこれ…私の予想だと5年後に行政代執行で解体だと思います。
この後は同じバスに乗って根室駅へ戻りました。
次回予告
400kmの移動を経て、再び札幌へ
六花ちゃんは…?小春六花はどこ…?
地獄の2940D列車に乗車
「お前いつまで書いてるねん」と思われそうなので次回で最終回にします。
ありがとうございました
2023/7/6